桜と物語

巷は、桜の季節である。

桜は、日本において、ニホンジンにとって、ある意味特別な存在であるといわれる。単に今日的な意味合いだけをとっても、「開花」を心待ちにする「予報」や、全国津々浦々で「花見」という文化がもたらす共通的な認識、理解は、この列島を、生きる人々を大きく包み込んでいる。

歴史的には、「田植桜」「田打ち桜」と呼ばれる、農繁期の始まりを象徴する存在であったことも、いまでは広く知られているし、さらに古く平安の時代よりも前にさかのぼれば、「桜」が今日持つステータスを保持していたのは「梅」であったことも多くの人に知られていることであろう。

かつて機械化される前の田づくりの仕事は、身体的にとてもとてもつらく厳しかった。大変な仕事をみんなで力を合わせて乗り切ろうと、「花見」という今日的な意味合いではなかったとしても、田楽の囃子にのせて、桜の木の下で茶や弁当をとったかもしれない。時には振る舞い酒も、出たかもしれない。そんな記憶が、今日の「花見」を楽しむ私たちの中に遺っているとしても、不思議ではない。

もちろん私たちの祖先のすべてが土地に縁のある農耕民ではないが、猟民であっても、漁民であっても、狩猟や漁労の行き帰りにふと目を上げた先にあるあざやかな桜の枝ぶりに心が動かされたであろうことは想像に難くない。このように日本において、ニホンジンにとって、桜がある種exclusiveであるかのような認識や言説は、もはや揺るぎのないもののように思える。

***
さて。物語の中で、桜をモチーフにしたストーリーや、桜になにかを投影してコンテクストを描いた作品が多く存在する。いくつもあるそれらの中から、とても印象的で私の好きなものをふたつほど紹介したい。

ひとつは、不朽の名作である「マスターキートン」第15巻第4章「真実の町」である。たかがコミックと侮るなかれ。これはれっきとした「文学作品」である。外国人に、いわゆる日本人的な桜に対する情念を持たせたストーリー、といえなくもないが、きっと外国人も同じような情念を持ちえると思わせるような個人的に大好きな話である。

「マスターキートン」の中では数少ない、日本を舞台にしたチャプターである。長らく考古学者としての就職浪人であるキートンは、日本の大学教員の面接を受けるために一時帰国している。キートンが、空港で何者かに手荷物を取り違えられてしまうところから、物語は始まる。大学教授への推薦状が入った鞄を間違って持っていかれてしまった彼は、しかたなく目の前にある他人の鞄を空けて持ち主の手がかりを探そうとする。持ち主の名前は英国人ラザフォード。キートンはガイドブックにブックマークされた「上高田」(という架空の町)へラザフォードを追って向かう。ガイドブックには、古ぼけた写真がはさまっている。二つ連なった丘のような小さな山の前で撮られた集合写真のようだった。

上高田グランドホテルに着いたキートンは、ラザフォードが隣の西野町の役場に向かったことを知る。役場の窓口で「Camp」の場所を執拗に尋ねるラザフォードに追いついたキートン。役場の担当者は、「この町にキャンプ場はないよ!」と冷たくあしらおうとする。ラザフォードが尋ねていたのは、キャンプ場ではなく、「収容所」の跡だった。

ラザフォードは戦中にシンガポールで捕虜となり、ここ西野町にあったと彼が主張する鉱山近くの捕虜収容所で働かされていたという。強制労働の中、たびたび暴力を振るわれていたラザフォード。地面に転がり「もうすぐ戦争は終わる」と自身に言い聞かせながら、虚空を仰ぎ見ていた自分が思い出される。しかし役場の担当者は、「この町に収容所があったなんていう話は聞いた事がない。小学校の教員が郷土史を研究しているから、そこへ聞くといい」と匙を投げる。ラザフォードは、なりゆきでキートンを通訳に従えて小学校に赴くが、歴史に詳しい教員の口からも収容所があったことを確認することは出来なかった。

日本に僅か二日しか滞在できない中で、収容所の跡を探そうとするラザフォード。収容所の場所を突き止め、二度と故国の土を踏むことが出来なかった戦友の魂を追悼したいのか。キートンは問いかける。その通り。ただなにかそれだけではないような気がするのだけれど、それがなんだかわからない。そう話しながら町を歩くラザフォードとキートンを見張るふたつの目。

戦中に鉱山経営に携わっていた町長は、鉱山労働に収容所の捕虜を動員していた。戦後、鉱山が閉山し、町の再興のために、不動産開発を行ってきた町長にとって、収容所の歴史は隠しておきたい過去だった。彼は役場の職員や学校の教員にかん口令を敷いていたため、だれもラザフォードに真実を語ろうとはしなかったのである。

途方にくれるラザフォードとキートン。あきらめかけたキートンが、小学校のグラウンドで子供達と縄跳びをして遊んでいると、童歌が聞こえてくる。

「一つ、日の出川の若鮎は金の鱗に波の華 二つ、二子山の鬼さんは青いお目めに血の涙・・・」

二つ連なった山の前で撮られた集合写真は、ラザフォードが収容所で写ったものだった。「二子山の青い目の鬼さん」町長達が隠したい歴史の真実は、童歌になって現れていたのだ。渋々、収容所の存在を認める教員。しかし正確な場所はどこなのか。

そこへ足立と名乗る町長の運転手が現れ、車に乗るように促す。彼は、当時収容所を警備していた兵隊だった。「ラザフォードさん、私を覚えていらっしゃいますか?あなたがこの町に来たとき、すぐにあなただと分かった。本当はまっさきに会いに来るべきだったのですが。いまでは私は町長の運転手ですから・・・」

再開発された住宅地の中にある公園。整備され、かつての面影などまったくなくなった一角に、小さな石が置かれている。

「町長に頼んで置かせてもらったんです。私に出来ることはこんなことしかなかった。ここでは何人ものあなたの戦友が亡くなった。あなた方に対してこんなことで償いになるとは思っていませんが・・・」

「ロバートやアンドルーがこの石の下に眠っているのか・・・そうだ。私はあなた方を恨んだ。この50年間恨み続けてきた。どんなに謝罪されても恨みが晴れることはない。しかし・・・」

ラザフォードが小さな石に歩み寄りかけながらふと見上げた先の空に、満開の桜が立っていた。

「もうすぐ戦争は終わる。もうすぐ帰れる」50年前、そう自分に言い聞かせながら地面にはいつくばって見上げた空間にあったものが、いま目の前に広がっていた。

「なんてことだ。私はこれを見に来たんだ。50年前と同じだ、なんてきれいなんだ。」

***
いまひとつは、アントン・チェーホフの戯曲「桜の園」である。三谷幸喜によって日本でも上演されているから、よく知られているロシア文学のひとつであろう。重苦しい、ひどく生真面目で逃げ場のないトルストイやドストエフスキーの作品と違って、ある種軽やかな(喜劇と言っているが)テイストの中に、時折見せる深みと凄みのある切り込みが、私の好みである。

帝政末期のロシア。
農奴解放からボリシェビキ革命に向かう時代に、没落貴族を取り巻く人々の群像劇である。主人公の一家が代々保有し、楽しんできた「桜の園」。これを含む先祖伝来の土地をすべて借金のかたに売り払わなくてはならない。散財をやめられず、過去の栄華にすがって生きる没落貴族に、登場人物の一人である大学生がこう言う。

「あなた方が代々愛でてきたこの園の桜は、歴々支配してきた農奴達の地と汗の上に成り立っていることを、あなたは想像できるのか」

物語の最後、売り払われ、持ち主のいなくなった「桜の園」の桜たちが、再開発のために切り倒されていく音を、唯独り残り、病床で死を待つ老僕が聞いている。
 チェーホフの作品の中で、桜は農奴支配の象徴として描かれ、そして切り倒されていく桜に権力の栄枯盛衰と時代の変遷が投影されている。

「美しく咲いて潔く散る桜」
「長い年月をかけて想いを留める桜」
「支配と隷属の象徴、そして時代の変遷を投影される桜」

花の下で酒を浴びて、乱痴気騒ぎをしていても、そこに集う人々は内心桜に悲喜こもごもの想いを抱いているかもしれない。あなたは桜に、何を想うだろうか。桜の向こうになにを想像するだろうか。

一年に一度、桜の季節に、目の前にあるものの向こう側になにかを想像するきっかけを。

想像の素。
桜onプロジェクト

http://www.mbok.jp/_i?i=399737914 

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